Hello!
奈良市菖蒲池の子ども英会話教室、Iris 英会話 ClubのTaishiです!
ある時、英会話関係の友人に言われた何気ない事
ある時、縁あって知り合った方に僕がやりたい事をしていないという事をズバリと指摘されたことがあったんです。
ほんとに気が付かぬうちにたくさんいろんな事を我慢していたのに気づかされたというか、なんだかその事を指摘されて泣けてきたんですよね。
自分ではやりたい事をしていたつもりだったんですが、どうやら少し微妙にずれていたようなんです。
学校英語を勉強せずに英会話を習得した僕が言える事
僕、就学前は近所に同年代の子どもがいなくて、1人遊びをする事が多い子供時代を過ごしました。
習い事も保育園の年長からスイミングを5年間、塾は小5ぐらいから初めて通いだした、そんな小学生時代でした。
勉強の方はというと小学生の間はテストはだいたい90点~100点だったんですよ!
ちなみに小学校の時、うちの母は中学受験させようと思ってたらしいです(^^;
僕は友達と離れるのが嫌だったのでそれを断り、地元の中学校に進んだのですが。
そう、だけど問題は中学に入ってから。
まあ、ほんとに。
反抗期も相まって勉強しない、ほんとに勉強しない。
もともと小学校の時から自習の習慣はなかったのですが、宿題すらも気が付けばしなくなっていました。
だってつまらなかったんです。
中学校の授業が(–;
自分が悪いのは百も承知なのですが、それでもつまらない。なぜ勉強するのかまったく理解できませんでした。
しかもわからないのにどんどん進んでいく。
そういった学業生活の中、部活も中1の夏休み前に辞めて部活動が有るような無い様な文化部に入って毎日、友達とゲームセンターに通って、
斜めにものを見ている学生時代を過ごしていました(–;
まあひどい、ちゃんとしろっ!て今の僕ならたぶん言っています(–;
それでも父がなかなかの昭和の人で、怒ったらちゃぶ台返し、灰皿が頭の横を飛んできたり、性格も四角四面でとにかく躾が厳しかったんです。
だからとりあえず恐怖政治のもとテスト1週間前からはノーテレビ、ノーマンガ、ノーゲームでとにかくその1週間は勉強しようがしまいが家の机に対してマンツーマンマークでした。
そんな恐怖政治のおかげもあって?成績は宿題を出さないにもかかわらず、
オール3
良いやら悪いやら(–;
こんな調子で勉強も部活もせずに、浪人してから実力テストで英語の偏差値30代前半を記録していくわけです。
人生初の挫折からカナダ留学へ
とりあえずは大した努力もせずになんか出来る、みたいな器用貧乏で大学4年生になった時、就職活動も何とかなると思っていたんですね。
って、なんとかなるか!!(笑)
はい、何ともなりませんでした★
挫折しましたよ挫折。
頭打ちましたよ。
相当な勢いで。
高速道路での正面衝突なんて比じゃないくらいの勢いで。
部活していない人間の挫折って相当ですよ、相当。
だって挫折に対する耐久性がないんですから。
けれどね、そんな人間でもその時に、
「こんな人生嫌だ!」
って思ったんです。
そこで目に入ったのが、
ワーキングホリデー留学セミナーのつり革広告。
それを見て、
今からは英語が必要な時代だ!!
と思ってアルバイトをしてお金を貯め、1年後にカナダに渡ったんです。
自分を変えたくてカナダに渡った当初の僕
英語が出来ない状態でいったものだからバンクーバーのコンビニでチョコレート一つ買うのも怖い状態で、
当時の僕「プ、プ、プリーズ、チョコレート、ディス。」((゚m゚;)
© Brett Jordan
まあなんと怖い事。コンビニでチョコレート一つ買う事すら恐怖。
今の僕からしたら考えられません。
長男で先回り育児で過保護に育てられるとこんな事になるんですね(笑)
結局ビビりの僕が悪いのですが(–;
何が何でもそのままの自分は嫌だったから起こした行動
バンクーバーって正直英語要らないんですよ(笑)
英語が話せなくても生活が出来る!
日本人がたくさん住んでいるし、日本食レストランもたくさんあるから話せなくても困らないんです。
ただ、
僕はそれが途中からすごく嫌だったんです。
だって英語を習得しに来たわけですよ。
それが気が付けば日本人同士で仲良くなって、挙句の果てに日本人同士で付き合って。
人それぞれだから良いんですけれど、
僕は限りのある貴重な時間を日本で出来る事に使いたくなかったんです。
それである時、バンクーバーで知り合ったカナダと日本のハーフの友人の紹介してくれた町に行くことに決めました。
彼のお祖父さんの住んでいる近くの町で、日本人も居なくてスノーボードも出来るいいスキー場がある事を教えてもらったんです。
カナダに居るのだからスノーボードをしたかったという事もあり、またバンクーバー生活が3カ月過ぎて日常英会話に慣れだして、なんか変な自信がついてきた頃だったんです。
バンクーバーからバーノンという町に引っ越し
それでバンクーバーを去り、グレイハウンドという長距離バスに乗り、7、8時間かけてバーノンという町へ荷物を引っ提げて引っ越ししたのです。
そこで僕は人生でかけがえのないものを経験する事になるのですが、続きは第2話以降でお伝えしていきます。
気が向けば明日ここに投稿しているかも!?
それか来週かも!?
けどここに投降しないかも(笑)
またちょくちょく続きが投稿されているから楽しみにしてお待ちください☆
☆この記事が良かったら”いいね”や”ツイート”お願いします☆